勝楽寺について

名称
三寶山 紹隆院 勝楽寺(さんぽうざん しょうりゅういん しょうらくじ)
寺紋
隅切り三
宗派
浄土宗
宗祖
法然上人(ほうねんしょうにん)
本尊
阿弥陀仏(あみだぶつ)
本堂には阿弥陀三尊像(町田市指定文化財)が祀られています。 
教え
阿弥陀仏の平等のお慈悲(じひ)を信じ、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と御名(みな)を称(とな)えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るいやすらかな毎日を送り、往生(西方極楽浄土に生まれること)を願う信仰です。

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歴史

開山・開基

天正元年(1573)、開山 源蓮社光誉上人、開基 三橋新右衛門。
八王子の極楽寺の末寺としてこの地に創建されました。

二六の市

江戸時代には「二六の市」が門前(現在の町田市商工会館付近から川田横丁・塩屋横丁間)に開かれ、交通・物流の増加とともに寺を中心とした地域が発展してきたと伝えられています。

幕末から明治

明治初めには、廃仏毀釈のため当時の原町田村の人々の手によって相模の国の大山より、不動明王が移されました。(但し、今回の移転事業により老朽化した不動堂は取り壊され、新たな堂が庫裡に併設されました)

古文書によると勝楽寺の門前大通り左角に小綺麗な茶屋(宿屋)があり、幕末の横浜開港(1859)以後、来村したかなりの外国人が宿泊していったと記されています。1865年には、後年『トロイの遺跡』の発見者として世界的に有名になるシュリーマンも来訪し、原町田で宿泊して見聞記録を残しています。勝楽寺へも立ち寄った可能性も考えると興味深いところです。

戦中から戦後

昭和に時代が移ると境内の整備が行われ、昭和3年(1928)、関東大震災で倒壊した本堂を再建し、戦後には梵鐘を唯念寺(元浅草) から移設と逐次諸堂宇の整備が行われました。(なお、梵鐘は移転事業に伴い元のお寺に返され、新たに鋳造された梵鐘が新しい鐘撞堂に設置されました。)

現在 そして未来へ

平成20年、かねてより計画されていた都道(都市計画道路)開通工事の着工のため前年より墓地・境内移転事業が始まり、本堂はこの年3月に曳き屋により現在の場所に移動しました。併せて、納骨堂『無量寿の塔』が建設され、本堂地下には誕生殿(ホール)および蓮華殿、舎利堂などが作られました。また、墓苑も西、中、東と三カ所に分かれ、山門を除き全てが新設あるいは改築・改修され、10月末に竣工を得ました。

以前からお寺の施設は市民に開放しておりましたが、より地域と密着した活動のためホールや境内をコンサート等のイベント会場として開放しています。

また、平成25年4月には西墓苑隣に法事施設とギャラリーを併設した納骨堂である『釈迦堂』がオープンしました。大仏壁画等作品を始め、三橋國民氏の作品を展示しています。

勝楽寺は、施設を市民に開放するだけではなく、寺院が地域社会の中で果たしてきた本来の役割を、人々が分断され孤立した現在の社会の中で果たしていこうと考えています。寺の施設の充実は、そのための基礎作りです。

社会活動

仏教の縁起の法に則り、世界に寄り添う活動をしています。

アーユスは、1993年に設立された国際協力NGOで、宗派を超えた仏教僧侶たちが集い、仏教の精神を基盤に活動を展開しています。
世界各地で深刻化する貧困、不公正、環境破壊といった課題に向き合い、平和と人権を守るための取り組みを進めるNGOの支援に加え、各地で得られた知見を寺院を通じて社会に広めることで、持続可能な未来に貢献しています。